わたしは見た!これが尊師の超越神力
- drawdaemon
- 2015年9月5日
- 読了時間: 18分
マハーケイマ正大師
渋谷のマンションで修行をしていた、ある夜のことでした。
そのときは瞑想の時間で、瞑想に入りやすくするため電気は消していました。それでも、窓から差し込む街の明かりで、部屋は薄明るくなっていました。
尊師は1人で壁際に座られて、わたしたちはもう1つの部屋で尊師に相対していました。
尊師が瞑想を始めると、 白 とか 金色 の エネルギー が、だんだんと尊師の周りを取り囲んで、渦巻いていきました。ちょうどアナハタ・チァクラからそのエネルギーが出ていて、体が霞んでいきました。
そして突然、 尊師の姿がフッと消えた のです。
みんな非常に驚きまして、「あれ、尊師が見えない。おかしいな」ということで茫然としていました。
初めは、「出ていかれたのかな」と思ったのですが、小さな部屋ですから、出ていかれたのなら気配ですぐわかるので、そのようなことはありません。そのうち、尊師の姿が現われたり消えたりしました。それでは、光の加減じゃないかと思って、それを確認してからもう一度目を凝らしたんですけど、やはり同じでした。
わたしには尊師のエネルギーがよく見えていたのですが、そのエネルギーが首から上を覆うと、その瞬間プラーナごと、その部分が闇に 溶け込んでしまう のです。 そして体が見えなくなってしまうのです。
上半身だけ、下半身だけという形で消えるときと、全身が消えるときがありました。全身が消えるときは、尊師の体全体が金色もしくは白銀色に輝いたかと思うと、次の瞬間にはパッと全身が見えなくなってしまうのです。
このときは、20人余りの前で公開したのですが、その全員が姿が消えるという奇跡を目の当たりにして、驚いていました。
ヴァジラチッタ・アティアッサージ正悟師
61年末のことです。
呼吸をしていないという実験をしたのです。それは、顔の上に紙を貼って動くかどうかを見るというものでした。
尊師の紙は全く動かないのです。少しでも呼吸をしていたのならば、紙は動くはずですが、尊師の紙はぴくりとも動かないのです。
尊師は ニルヴィカルパ・サマディ を得ていらっしゃる ことを、私達に明らかにしてくださったのです。
マンジュシュリー・ミトラ正大師 エジプトでのことです。すごく暑いんで気温の当てっこしていたんです。
昼間は相当暑いエジプトも、夜になると急に涼しくなります。そこで私は言います。
「だいぶ涼しくなりましたね。二八度くらいじゃないですか。」
すると尊師は、
「いや、まだ三七度はある。」
とおっしゃいます。そこで温度計で計ってみると、その通りなのです。
また、同じ日中でも風が吹いているのと吹いていないのとでは、気温の感じ方が変わります。私達でしたら、すぐそうしたものに影響されてしまうのですが、尊師はそうした状況でもピタリと気温を当てられるのです。
車のスピードについてもそうでした。今、この車が何キロで走っているか、なんてことをずばりと言い当ててしまうのです。
やはり、これもエジプトでのことですが、尊師のおっしゃる数値とスピードメーターの数値とが合わないのです。
「これはメーターがおかしいから、計ってみなさい。」
そう尊師はおっしゃるので、ストップウォッチと距離計で計ってみました。すると、二五パーセントもメーターが狂っていたのです。
こうした体験というのは、他にもあります。
安いハチミツを見つけてきたら、水アメが混ざっていると見抜いてしまわれたり、回転焼きやお好み焼きの材料をすべて言い当てたり、甘みのもとが砂糖かサッカリンかがわかるとか、もうこれは究極のグルメです。
また、三五〇と表示されていたジュースが、実際は三〇〇ミリリットルしかないのを当ててしまわれたりもしました。
時間についても正確です。「七時になったら起こしてくれ」と言われて、うっかり忘れてしまうときがあるのですが、「何時だ」と尊師に聞かれると、七時だったりとか、そういうこともありました。
アストラル・テレポーター作成のときは、こういうことがありました。
最初尊師は、コンピュータの「ビット」という言葉をご存じなかったのです。そこで、
「ビットというのは、電圧をいかに細かく分割するかを表わしています。」
と申し上げたんです。すると、
「そうか。六四ビットまで行ったら、電子一個一個がわかるようになるな。」
と尊師はおっしゃいます。そこで私が計算してみますと、確かに電子一個一個がわかるような数値が出てくるのです。
そもそも、アストラル世界という微細な世界を再現するのが、アストラル・テレポーターですから、粗雑な感じがあってはまずいのです。その六四ビットという数値は、正に私達が必要としていたものだったのです。
ミラレパ正大師
①
尊師は道路の混み具合を正確に把握していらっしゃいます。もちろん、ラジオの情報などは聞いていませんので、わたしたちは驚くことがしばしばありました。
「こっちへ行った方がいいんじゃないか。」
そう尊師がおっしゃる方へ行くと、大体その道はすいていて、もう一方は混んでいるという状態なのです。
首都高速でこんなことがありました。
千葉方面から世田谷に向かうときのことです。2台で世田谷に向かっていたのですが、首都高速の江戸橋インターに来たときです。
どちらが早いかということで、尊師の車は、尊師がおっしゃる通り神田方面に向かい、もう1台は銀座方面に向かったのです。すると、銀座方面は大混雑という状況で、尊師の方の車が世田谷に着いても、なかなか現われませんでした。
一回二回ならば偶然もあり得るのですが、毎回こういったことがあるので驚いています。
②
「事故を起こすから、チェーサーを使いなさい。他の車だと危険だからね」
Iさんが富士から東京へ向かう前日、尊師は電話でこうおっしゃいました。Iさんが「心の弱さ」という悪いカルマを持っていて、そのカルマが「事故を引き起こす」というのです。そのことがわかっていたので、尊師は事故の被害を最小限に食い止めようと、頑丈なチェーサーに乗るように指示されたのでした。
果たして、尊師の予言していた事故は当日に起こりました。
Iさんは、事故のことを次のように話していました。
「時速150キロで走っていると、突然意識がアストラル世界に飛んで、事故のヴィジョンが見えてきたのです。これはまずい、と思ってブレーキを踏んで減速 し始めたのですが、130キロに落ちたところで、水たまりに入ってしまい、ブレーキが利かなくなってしまいました。そこで、慌てて自動車の側面を中央分離 帯にぶつけて止めようとしたのです。これが事故のあらましです。幸いにも、尊師のご指示通りチェーサーに乗っていましたので、他に被害は及ばず、わたしも同乗のMさんも怪我はありませんでした」
そして、Iさんはフェンダーがボロボロになったチェーサーに乗って、東京へと向かったのです。
「あっ着いたぞ」
尊師がそうおっしゃいました。でも、チャイムも鳴らなければ、物音もしません。わたしは「そんなことはないでしょう」と思いながらも、ドアを開けたのです。すると、Iさんが立っていて、こう言います。
「事故を起こしました」
わたしは、すべてをはっきりと見ていらした尊師の神通力に、改めて敬服した次第です。
なお、尊師によると、あのとき思いきりポンピング・ブレーキを踏み続けていれば、事故は防げたそうで、それができなかったのは「心の弱さ」のためだということでした。
サクラー正悟師
①
尊師の※ポワについてお話ししたいと思います。
あるとき、熱心な女性の信徒さんが不慮の事故で亡くなりました。わたしは、このことを同じく信徒さんだったご主人からの連絡で知り、すぐに尊師にご連絡しました。わたしの説明が終わらぬうち、尊師は、
「切った場所は右の上わき腹じゃないか。」
と聞かれたのですが、そこまで聞いてはいないと申し上げると、
「わかった。わたしが直接ご主人に電話してみるよ。」
と言って電話を切られてしまったのです。
尊師にお任せした安心感からか、わたしは初めて自分のアナハタ・チァクラの痛みに気づきました。ハーケンか何かで打たれるような激しい痛みです。しかし、わたしはそれに耐え、用事を済ませに外に出かけました。
出かけて間もなくすると、ポケットベルが鳴り、表示先に連絡すると、
「至急、尊師に電話をしてください。」
とのメッセージがありました。そして、電話口に出てこられた尊師から、思わぬポワの体験をお聞きすることができたのです。
「今、彼女のポワが終了したよ。彼女は人間界でも最も徳のある、修行者の子供として転生することになるよ。」
尊師は、わたしとの電話を切った後、すぐに瞑想に入り、彼女の魂を追いかけられ、そして、バルド(死後の中間状態)彼女にいろいろなアドバイスと、特殊な瞑想法を与えられ、ポワをなさり、彼女を高い世界へ導いたそうなのです。
尊師によると、彼女は、自分が死んだことを認識していて、自己の死に対して引っかかりを持ち、苦しんでいる状態にあったそうです。その苦しみを、縁の深かったわたしのところに訴えにきていたのです。わたしのアナハタの痛みはこれが原因だったのでした。
「サクラー、胸の痛みが消えただろう。」
と尊師がおっしゃるので、ふと自分の状態を振り返ってみると、確かにあの痛みが消えています。アナハタ・チァクラは人間界と深いつながりがあるのですが、これは彼女が転生した証明なのです。
実は、わたしだけではなく尊師も体調を崩されていました。当然、彼女はわたしのところだけではなく、根本グルである尊師のところにもやってきたのです。
以前にも、尊師は亡くなられた信徒の方の魂を耳から抜けさせて(意識堕落天への道筋)、ポワされ、中耳炎になられたことがあったのですが、今回は、ちょうど彼女が亡くなられたころから、心臓が苦しくてたまらない状態だったそうです。
ちなみに、後でご主人に確認すると、尊師がおっしゃったとおり、右の上わき腹を切って、彼女は亡くなっていました。離れたところにいながら、尊師はすべてを知っていらしたのでした。
あらためて、弟子はグルと霊的に完全につながっており、真面目に修行をしていれば、必ず死に際しても高い世界へ導かれることをわたしは実感しました。
②
渋谷にも、だんだんと信徒の皆さんが集まってきたときのことです。
尊師が「神通力でも見せようか」とおっしゃって、何をするのかと思って見ていたら、アルコールを器に空けるんです。そして、そこに腕を入れられて、ローソクの火を移しました。瞬く間に腕は炎に包まれ、尊師はよく見えるようにと、腕を肩の高さまで上げられました。
当然腕が燃えているわけですから、ものすごく熱いのですが、尊師は平気な顔をしていらっしゃいます。我慢している様子などまるでなく、いつもどおりのお顔なんです。これで、制感の行ができていらっしゃるということがはっきりとわかりました。
そして、その青白く綺麗な炎は次第に弱まって、ついには消えてしまったのですが、腕には跡一つないのです。普通はあれだけの炎ですから、やけどをしたり、水ぶくれができたりしますけど、腕は何ともないのです。赤くもなっていません。
エネルギーが満ちあふれているときだけ、こうしたことができるというお話でした。
ヴァジラティッサ正悟師 これは中央アフリカの最貧国・ザイール共和国への医療援助のために、その医薬品を買いに、あるサマナ(出家修行者)が東南アジアに出かけたときの話で す。日本でいろいろな"つて"を頼ったところ、マレーシアで日本語を話す医者を紹介され、その方に薬品の入手をお願いすることになりました。
しかし、実際にサマナがマレーシアに飛んでみると話が違うのです。
その方は最初、一瓶あたり50マレーシアドルでその医薬品を売ってくれると言っていたのですが、直接サマナがマレーシアで会ったときには、「50マレーシアドルというのは間違いで、53マレーシアドルである」という話しになっていたのです。
そこで、「価格が間違っていたようで、53マレーシアドルでした」と尊師に報告したところ、尊師は「それはおかしいんじゃないか?」とおっしゃるのです。
それ以前の交渉は国際電話を使ってのやりとりでしたから、本当に間違いだった可能性はなきにしもあらずでした。例えば、電話でのやり取り上のミス、あるいは本当にその医者が勘違いしていたとか、間違いの可能性はいくらでもありました。
ところが、尊師はわたしが報告した途端、それらの可能性をすべて否定されるように、「絶対におかしいから調べてみなさい」と指示を出されたのでした。
そこで尊師のご指示どおり実際に調べてみると、いろいろと真相がわかってきました。実は、その方は医者なので直接薬の販売に携わっていたわけではありません。
わかりやすく説明するなら、製造元・販売元との仲介を申し出ていただけだったのです。そして、その医者を通さずに直接その製造元・販売元の薬屋に問い合わせたところ、なんとその医者に43マレーシアドルで売るという話をしていたことがわかりました。
つまり、その医者は43マレーシアドルで仕入れた薬を50マレーシアドルで売ろうとして、さらに欲の皮が張ってきて53マレーシアドルに値上げしたということだったのです。
さらに、当初、その医者は300ミリグラムの錠剤と言っていましたが、後にそれが250ミリグラムの錠剤だったということがわかりました。なんと、かさ増しまでして安いものを高く売りつけようとしていたわけです。
調査によってこの医師の悪巧みが次々と暴露され、その結果、その医者を介さずにメーカーと取り引きをして、160万円くらいの無駄な出費を抑えることができました。
このとき改めて感じたのは、尊師の超越神力のすごさです。たった一言でその取り引きがおかしいと判断できる力というのは、商売をやっている方、あるいは普通の生活をしている方にもうらやましい限りです。
ぜひわたしも修行によってこのような完璧な力を身につけたいと思います。
ヴァジラチッタ・ヴァンギーサ正悟師 「テンポのいい文章を書くんじゃないか。」
詩を中心に文章を書いていた私は、まさにそうした文章を書いていたのです。尊師との初対面でこれを言い当てられたときには、本当に驚いてしまいました。
印刷会社の営業をしていた私は、現在オウムで印刷発注の仕事を担当しています。その最初の仕事でした。一七〇万円の見積りに、私は頭を抱えていました。
まあ、相手の事情を考慮すると、一五〇万円までは値切れるなと思って、尊師に相談したのです。すると、尊師は、
「一四〇万で行こう。」
とおっしゃったのです。
私は、「そこまで下がるのかな」と思い、もう一度ぎりぎりに落とせるだけの単価で計算し直してみると、全くその通りなのです。これには驚きました。
私の計算ミスが原因ならば、それほど驚きはしなかったでしょう。しかし、印刷の値段の知識がないと、絶対に出るはずのない値段を、尊師は言い当てられたのです。
そもそも、印刷の見積りというのは、少なくとも三年くらい働いていないとできないものです。ましてや、パッと値段を出すまでには、七、八年はかかるものなのです。もちろん、尊師にそういった経歴はありません。
また、ある本を再版するときのことです。
「初版が単価三三〇円か。再版はこの部数でいくらくらいになると思う?」
「そうですね、二六〇円くらいじゃないですか。」
と、私が答えると、尊師は、
「いや、そんなに高くはないよ。二〇五円でできるよ。」
とおっしゃいます。そして計算すると、ピタリと当たっているのです。
後で聞くと、尊師は私のコーザルのデータを読み取っていたということでしたが、この神通力には感服したものです。
ウパーリ正悟師
① これは一九八六年の話です。
当時はセミナーの形で修行が行なわれていて、このときの夏の修行セミナーでわたしたちは、小雨が降りしきる中、五体投地という行法を行なっていました。
そのときに尊師がわたしたちの所にいらっしゃって、いろいろとお話をしてくださったのですが、ふと気がつくと小雨が降りしきる中に立たれているのにもかかわらず濡れている様子がありません。
わたしたちはといえば、皆ずぶ濡れになっているのですが、尊師はまるでバリアーにでも守られているかのように、傘も差していないのにまったく濡れていないのです。これにはそこにいた者全員が驚かされました。
その後、少し雨が強くなってくると、さすがに尊師のお体もわずかに濡れ始めました。
しかし、その後がまたびっくりさせられました。部屋に戻られると、もう一瞬のうちに乾いてしまうのです。
後で尊師にお聞きしたところ、これは神足通の一種で、気の力によって体の周囲の雨をはね返してしまうものであると言われました。これもまさに尊師の超越神力のなせる業【わざ】だったのです。
この気の力による尊師の超越神力のエピソードで、最近こんなことがありました。
これは一九九二年、イニシエーションのために全国のオウム真理教の支部を尊師が回られて、わたしも同伴させていただいたときのことです。金沢のホテルでこんなことがありました。
イニシエーションを終えてホテルに戻られた尊師のお迎えにあがったところ、尊師が突然、「わたしの方に押してきなさい」とおっしゃるのです。
わたしは修行を始める前、一時期プロレスラーになろうと真剣に考えたくらいですから腕には自信があります。実際にいろいろな格闘技を経験していて、そこにいた弟子の中でも一番力が強かったのでご指名があったのだと思います。
そこで「押してきなさい」と言われて全力で押してみることにしました。
ところが、力いっぱい尊師を押してみたのですが、尊師はまったくぴくりとも動きません。体格ではむしろわたしの方が上回っていますから、これは不思議なことでした。
その後、今度は尊師から「押すぞ」といわれて押してこられたのですが、それがもう手を触れられた瞬間にわたしの体が宙に浮いていて、気がつくと後ろの壁にドンとぶつかっているのです。
あまりの不甲斐【ふがい】なさに「もう一度お願いします」と挑戦させていただいたところ、結果はまったく同じ。体がふわっと浮いて、後ろの壁にぶつかってしまうのです。
それも不思議なことにまったく踏ん張れないのです。普通の押し合いなら少しは抵抗できそうですが、まったく抵抗できないのだから話になりません。
その後、試しに他の弟子二人に押させてみたのですが、一人目の押しにはぴくりとも動かず、もう一人の押しには、ずっと押させ続けてゆらりと動く程度でした。いくら力の差があったとしても抵抗くらいはできるはずですから、これはもう本当に不思議なことでした。
考えるに、このときの力は気功だと思います。
尊師がそのときに「気の流れはどうだったか」とおっしゃっていたのですが、実際に、エネルギーが噴き上がっていくというか、体が勝手に持ち上がって吹っ飛ばされるというな感じで、もうこれは完全に肉体的な力ではなく、気の力だと思いました。
ちなみに、このとき尊師はイニシエーション・ツアーの真っ最中で、全国のオウム真理教の支部を回りながら連日多くの方々にエンパワーメントをなさってい たわけです。にもかかわらずこれだけの気、エネルギーを発せられる尊師の修行者としての
②
その日わたしは、セミナーで食事の手伝いをしながら、他の人とおしゃべりに夢中になっていました。
そしてその手伝いが終わって部屋へ戻るとき、尊師とすれ違ったのです。そのとき尊師に、
「口の修行の方は進んだか。おしゃべりはアストラル・エネルギーのロスになるから、無駄口は控えなさい」
と、厳しく言われました。まるでそばで聞いていらしたかのようです。
わたしは、「グルはいつでもわたしたちをご覧になっておられるのだ」と思いました。そして、尊師は弟子が何をしているかをすべて把握していらっしゃるということを、そのとき改めて認識したのです。
ウルヴェーラ・カッサパ正悟師
①
わたしが以前尊師と一緒に仕事をさせていただいたときの話をしたいと思います。
尊師がいろんな曲や歌をお作りになって、その録音をわたしが担当していました。しかし、皆さんもご存じのとおり、尊師は目がご不自由で、楽譜を見てお歌いになることはできません。そこで、歌詞と曲を全体的に覚えて歌っていただくという方法を採りました。
この方法なら、普通の歌だったらすんなりいけます。
しかし、ある曲の中にコーラスを入れる部分があって、尊師が「コーラスの部分もわたしが歌う」とおっしゃったのです。
そのコーラスというのがリズムの難しい部分で、歌の入り方が非常に難しいものでした。
楽譜を見ながらならともかく、頭の中でそれを考えながらやらなければいけないということでなかなかうまくいかず、何度もやり直しておられました。
そこで尊師はしばらくお考えになった上で、唐突に、「ちょっとわたしの横に来てくれ」とおっしゃいました。そして、歌に入るときに「ここだ!」というように意思してくれとおっしゃるのでした。
面白そうだったので、わたしも「ではやりましょう」と返事をして、再び録音を始めました。
そして、わたしは尊師の横に黙って立ち、その入りの部分になって「ここだ!」と強く意識したのです。
すると、今まで失敗を繰り返していたのが嘘のように、ぴったりのタイミングで入ることがおできになったのでした。
これは、もうおわかりのとおり、わたしの心を読んで、その心の動きを合図にタイミングを合わせた、超越神力をお使いになった録音です。他の方には絶対に真似のできない、まさに尊師ならではの録音方法だと思います。
②
尊師は、いつでもわたしたちを見ていらっしゃいます。
名古屋での話です。尊師はホテルで寝ていらして、わたしたちは名古屋支部で寝ていました。突然、ミラレパ大師が起きたのです。すると間髪を入れずに、電話が鳴りました。それは尊師からの電話で、尊師はこうおっしゃっていました。
「ミラレパが起きたのがわかったから、電話したんだ」
わたしはその光景を見ていたので、“なるほど”と思いました。
こうしたことは、度々経験しています。部屋に戻るやいなや、自分に電話がかかってきたり、尊師の部屋の前に立っただけで、「鎌田か、入れ」と言われたりすることがあります。
あるとき、スタッフになろうとしていた人が、オウムのだれにも言わずに、インドに旅行していたことがあったのです。だれもそれを知らなかったのですが、その人に話題が及んだとき、尊師は、
「あれ、今、日本にいないんじゃないか。インドに行ってるヴィジョンを見たぞ」
とおっしゃっていました。尊師の前では、隠し事はできないのです。
今回は以上です。
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